進化するインスタントラーメン

激しい競争によって進化し続けるインスタントラーメン

インスタントラーメン誕生から約半世紀以上、その需要を維持していくために、価格競争や商品開発競争によってインスタントラーメンは大きく成長していきました。

第一期黄金時代 多くのメーカーが市場参入

インスタントラーメンは急激な需要の増加で品不足に陥り、多くのメーカーが市場参入を図りました。
1961(昭和36)年の需要期を迎えたころで70社以上、1963(昭和38)年末には100社を超え、1964(昭和39 )年末から1965(昭和40 )年に入ったころには、一挙に360社にもなっていたといわれています。
しかし、インスタントラーメンと言えばどんなものでも売れてしまう時期は、そう長くは続きませんでした。
心あるメーカーや流通、マスコミ関係者は、品質の向上が急務であることを早くも感じ、警告を発していたのです。

一方、生活者のあいだからもインスタントラーメンの味や品質に対する要望が生まれてきました。
そんなとき、味付けタイプからスープ別添えに踏み切ったインスタントラーメンがありました。

流れを変えたスープ別添えタイプ

支那筍入
明星ラーメン

1962(昭和37)年4月、明星食品は「支那筍入  明星ラーメン」の発売から、そしてほぼ同時期、東洋水産は「マルちゃんのハイラーメン」から、スープ別添えタイプへの全面的な切り替えをおこないます。

スープ別添えタイプは、発売と同時に爆発的な売れ行きをみせました。
味付けタイプにくらべて手間がかかるものの、めんやスープに味わいを深めることができました。

マルちゃんの
ハイラーメン

また、ほかの具材を加えることも可能になったので、とりわけ都市部の主婦たちに好感を得ることができたのです。

このことは他社を刺激し、インスタントラーメンの新しい流れを作りだすことになりました。

第二期黄金時代の激しい競争

1962(昭和37)年、明星食品の「支那筍入  明星ラーメン」と、東洋水産の「マルちゃんのハイラーメン」がスープ別添えタイプとなった翌年、夏場商品として「日清焼そば」が、またエースコックのヒット商品「エースコックのワンタンメン」、さらに東洋水産が和風めんの足掛かりをつくった「マルちゃんのたぬきそば」と、次々に新製品が登場します。

1964(昭和39)年には、サンヨー食品から「長崎タンメン」が発売されてタンメンブームを巻き起こすと、一躍大手メーカーの仲間入りを果たすことになります。

1961(昭和36)年の生産食数5億5千万食に対し、1963(昭和38)年には20億食、1965(昭和40)年になると25億食に達しました。

  • 日清焼そば

  • エースコックのワンタンメン

  • マルちゃんのたぬきそば

この60年代中盤は、インスタントラーメンにとって第二期黄金時代とも言える時期となり、各メーカーとも生産の増強を図った時期です。こうした価格競争や商品開発競争によってインスタントラーメンは大きく成長していきました。