個性化の時代とインスタントラーメン
ご当地ラーメンとミニラーメンの誕生
石油ショック以降、日本人の商品選択眼は一層厳しくなりました。
食生活の上でも、多様化、差別化、高級化、個食化の傾向が顕著に見られるようになり、レストランやホテルでの食事が日常的に、そして流通の発達によって地方の名産品が食卓に並ぶ風景も一般的になってきました。
こうした時代の要請に対応したインスタントラーメンの最初の動きが、袋めんの「エリア化」、カップめんの「ミニ化」です。
袋めんの「エリア化」
1979(昭和54)年、ハウス食品が出した袋めん「うまかっちゃん」は、九州独特のとんこつ味に仕立てた地域限定商品でした。
引き続き、サンヨー食品の「九州ラーメンよかとん」、明星食品の「九州っ子」、日清食品の「九州とんこつラーメンくおーか」などが次々発売され、九州市場は活況をていしました。
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うまかっちゃん
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九州ラーメン
よかとん -
九州とんこつラーメン
くおーか
ハウス食品は「うまかっちゃん」を全国展開し、一方で関西向けの「好きやねん」、北海道向けの「うまいっしょ」によってエリア戦略を進めていきます。明星食品は1983(昭和58)年、「ラーメン紀行」を発売し、「札幌編」、「東京編」、「大阪編」、「博多編」とシリーズ化を図りました。
カップめんの「ミニ化」とわかめラーメンのブーム
カップめんでは「ミニ化」が進行しました。
1980(昭和55)年、エスビー食品、ロッテ、カンロ、カバヤなど菓子メーカーが「おかしめん」として発売したのが始まりです。その後、大手メーカーが自社商品のミニサイズを定番化していきました。
そのほか、1982(昭和57)年にはまるか食品の「ペヤングわかめラーメン」とエースコックの「わかめラーメン」がヒット商品となり、「わかめラーメン」ブームを起こしました。このときカップめん全体の10.6%を占めるほどの売れ行きを見せています。
また、1985(昭和60)年は辛口ラーメンが脚光を浴び、翌年にわたってブームとなっています。
グルメを狙え!高級化戦略
1980(昭和55)年の一般的な小売価格は、袋めん70円、カップめん130円でした。
そこへ1食300円のカップめん「力一杯」を発売したのが東洋水産です。
1981(昭和56)年には、明星食品が280円、300円の「中華飯店」シリーズ4品を発売。中身の充実を図った高級インスタントラーメンでした。
続いてデパート向けの「特選中華飯店」を、そして10月、1食120円の袋めん「中華三昧」シリーズを発売すると、これが爆発的なヒット商品となり、これがインスタントラーメンは安いものというイメージをくつがえすことになりました。
1982(昭和57)年の夏になると、各メーカーとも高価格・高級インスタントラーメンを打ち出します。東洋水産の「華味餐庁」、日清食品の「麺皇」、ハウス食品の「楊夫人」などいずれも1食130円でした。翌年には、サンヨー食品が「桃李居」を出しています。
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華味餐庁
(カミサンチン) -
麺皇
(メンファン) -
楊夫人
(マダムヤン)
このようにインスタントラーメン市場は高価格・高級商品の出現で活気を帯び、一時は全市場の30~40%を高級インスタントラーメンが占めるほどでした。
因みに明星食品はその後の1986(昭和61)年、通常の「中華三昧」とは別に1食1000円の「中華三昧特別仕様」を発売し話題となりました。また、カップめんでも高級路線を図った商品が出ています。
1982(昭和57)年、サンヨー食品の「田吾作」シリーズ(200円)や、エースコックの「もちもちラーメン・力うどん」(160円)、マルタイ泰明堂の「長崎ちゃんぽんゴールド」(200円)などがありました。
1983(昭和58)年2月、小麦の政府売り渡し価格が8.7%引き上げられたことで、6月に入ると各社は、一般の袋めんを80円、カップめんを140円に改定しました。
袋めんを抜いたカップめん
インスタントラーメンの生産量は、1975(昭和50)年に40億食を突破して41億食となり、1985年(昭和60)年には45億8,000万食となりました。それまでの10年間のあいだにカップめんは、11億食から20億1,000万食へとほぼ倍の成長をみせますが、袋めんは30億食から25億6,000万食へと大幅に低下しました。
翌1986(昭和61)年は袋めん、カップめんともに伸びて過去最高の46億2400万食を記録します。
ところが1987(昭和62)年になると、袋めんの落ち込みから全生産量はマイナス成長となっています。これは、この年に戦後初めて麦価の値下げが行われ、消費者還元セールが始まったことによるものと考えられます。
そんな停滞を打ち破ったのは、1988(昭和63)年にエースコックが発売した1.5倍の「スーパーカップ」だったと言えます。「スーパーカップ」は、都市部に続々増え始めたコンビニエンストアに集まる若者たちの人気となり、たちまちヒット商品となるのです。
そして1989(平成元)年、ついにカップめんは生産量とJAS格付数量ともに袋めんの数を抜きました。生産量はカップめん24億500万食、袋めん22億2500万食、合計46億3000万食となり、最高記録を更新しています。
さらに1993(平成5)年、インスタントラーメンの生産量は46億8000万食を超えました。
健康志向の高まりのなかで
日本即席食品工業協会は、消費者の健康志向の高まりと、製品に対する製造者責任の明確化の気運のなかで、消費者の信頼を高めていくために、加工食品業界全体としての取り組みを検討してきました。
そして1993(平成5)年1月1日から、「即席めん類の栄養成分表示に関する基準」に基づいて、エネルギー、たんぱく質、脂肪、炭水化物、食塩の5項目については表示を義務とし、また、ビタミンB1、B2、カルシウムを強化した場合にはこの3項目について任意に表示することとしました。
さらに1995(平成7)年4月1日から、食品の日付表示が賞味期限(品質保持期限)表示に移行し、JASなどの関連規定が改正されています。
生タイプ即席めんの登場
カップめんの生産量が袋めんを抜いた1989(平成元)年11月、島田屋本店がカップ入りの生タイプ即席めん「真打ちうどん」を発売しました。常温流通を可能にした生タイプめんは、久しぶりにめん市場に登場した新しいタイプの商品でした。
続けて、1991(平成3)年には明星食品が生タイプ即席めんで初の中華めん、「夜食亭」を発売しますが、生タイプ即席めんは、酸で処理して滅菌するため、アルカリ性のかんすいを利用するラーメンタイプでは当初問題があり、各社とも中華ラーメンの製造に苦労をします。
ようやく、平成4年(1992年)に日清食品が発売した「日清ラ王」が技術的にこの問題を克服し、一挙に需要を拡大させました。
他スパゲティタイプ、焼きそばタイプなど新たな商品開発にもひろがりを見せました。
そして1995(平成7)年の売上げは、4億8400万食に急増しています。この数を袋めん、カップめんの総生産量に合わせると、51億9000万食となり、既にインスタントラーメンは50億食を超えて、国民食と呼ばれるほどの成長を遂げたのです。